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第7回木育サミットは木の街、新木場にて開催!材木の街とは?

Note

つい先日、立春を迎えたにも関わらず以前より厳しい寒さを感じますね。

2020年2月8日(土)は7回目を迎える、「木育サミット」が木材会館にて開催されました。第1回目の東京学芸大学芸術館に始まり、塩尻や秩父、徳島などでも催されてきた木育イベントがついに今年は材木の街、新木場にある木材会館にて開催されました。

実は新木場とは文字の通り、“しく設けられたの集積場”であることが地名の由来です。

長谷萬グループは、木場地区の近隣である富岡に本社を構えております。そこで今回は、新木場と木場の歴史について触れて参ります。

<木場の起こり>

時代は、江戸開府まで遡ります。

1590年、江戸が都市としての街づくりを始める際、当時周りが島だったため大規模な土木工事が計画されました。面積的に大規模なことと、開府というともあり各所から材木商たちが集まり、それに伴い周辺にはあちらこちらに材木が集積されていきました。

1641年、江戸の下町を大規模な火事が襲います。原因は平凡だったそうですが、この一件をきっかけに材木を一カ所に集めて保管するよう、幕府からの命令がおりました。

その際に 貯木場が建設されたのが、木場の始まりとされています。

<新木場の起こり>

戦後を迎えた木場地区は、著しい復興を遂げ高度経済成長により繁栄していたようですが、立地条件が年々悪化し、将来を考えたうえで移転を望む者が増えていきました。

立地条件の悪化には地盤沈下などの問題も抱えていた中、1959年に台風の被害で伊勢湾岸にて管理されていた原木が大量流出、莫大な損害を受ける災害が起こりました。

同じ規模の災害が江戸で起こった際の被害を懸念し、移転問題が急速に進みました。 大規模な移転である為、様々な困難を乗り越えた末に新たな貯木場が建設された1972年から1980年にかけ、現在の”新木場”に移転を完了させました。

<新木場と旧木場>

かつて「材木の街」と呼ばれていたのは木場でしたが、現在では新木場へと受け継がれています。しかし木場地域にもまだまだ材木屋はあります。

材木商が集まり深川木場を盛り上げていた時代を再び思い起こさせるような企画をやろうと、「旧木場プロジェクト」と称し、長谷萬グループを含む、およそ13もの企業が活動しております。新木場地区、旧木場地区関係なく、集まっております。

第7回木育サミットでは木育ブースを設け、ご来場いただいた方に各々の木育活動のご紹介や、旧木場プロジェクトに関してご案内させていただきました。

また昨年度には、深川公園にて木のお祭りである「THE 深川 WOOD FES」を催し、「木と暮らす、木を楽しむ」 をテーマに木と触れ合う機会を企画させていただきました。

今後も我々は本物の木のぬくもりを皆様にお伝えすると同時に、木場の文化を伝承していく為、尽力してまいります。